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私の発達障害(1)
勘の鋭い方は文章内容からお気付きかもしれませんが、「発達障害とその理解(1)」の「長文の要旨作成と議事録作成の違いについて」の事例や「発達障害とその理解(3)」の「教材」の事例は私自身の事例です。私はADHDとASDの両方の特性を持っています。『大胆』と『繊細』ほぼ反対な意味を持つ言葉ですが、面白いことに両方とも同時に出ます。私は経歴を見て頂ければわかるように完全に理数系の学習に特化して勉強していました。しかしながら、私が生徒に教えているのは理科・数学(算数)・国語・英語・社会・情報の6教科です。当然、私自身は習っていない教科もあります。さらに所謂「ゆとり世代」だった為に学習指導要領が削減されており、自分が知らない分野も教えなければなりません。そこはADHDの特性の出番です。完全なマルチタスク(複数の物事を同時に進行すること)は不可能ですが、シングルタスク(単一作業)を切り替えながら連続的に行うことで疑似的なマルチタスクの勉強ができます。例として言うなら、理科の勉強をしており、集中力が切れたら英語の勉強を始める。また集中力が切れてきたら国語の勉強を始めるといったような作業です。この様に疑似的なマルチタスクを行うことである意味、健常者以上のスピードで学びます。ですので、どの教科も教えることが出来るのです。仮に知らない教科をリクエストされれば、その場で教科書を読んで理解し、すぐに授業で教えることも可能です。
私は教育者としてはプロフェッショナルであるという自負はあります。しかし、各教科に関してはスペシャリスト(特定分野の専門家)というよりはゼネラリスト(広い領域を担当する者)としての側面が強い点は否めません。特定の専門領域だけで戦えば生徒の方が優位性を持つ可能性も否定しません。しかしながら私は「教育のプロ」であると同時に「学習のプロ」です。生徒に劣る点は生徒よりも効率良く勉強して挽回します。だからいつも生徒から言われます。「先生って何の教科の先生なの?」と。これを読んでくださっている方は「私の勉強法を生徒に教えれば良いのでは?」と思われるかもしれません。しかしながら、それを教えても全ての教科が中途半端に終わります。その原因は当然ですが、人生経験の差です。元々持っている情報量が違います。先に述べましたように専門分野は負けるかもしれません。ですが、基礎を固めていた時間が違います。この差が勉強法に出てきます。それ故に生徒一人一人に対して、カリキュラムを組む必要があります。一人として同じ経験、同じ人生を歩んだ子は居ません。その子の為だけに時間をかけて精査し、考え、世界に一つだけのカリキュラムが出来るのです。
私は教育者としてはプロフェッショナルであるという自負はあります。しかし、各教科に関してはスペシャリスト(特定分野の専門家)というよりはゼネラリスト(広い領域を担当する者)としての側面が強い点は否めません。特定の専門領域だけで戦えば生徒の方が優位性を持つ可能性も否定しません。しかしながら私は「教育のプロ」であると同時に「学習のプロ」です。生徒に劣る点は生徒よりも効率良く勉強して挽回します。だからいつも生徒から言われます。「先生って何の教科の先生なの?」と。これを読んでくださっている方は「私の勉強法を生徒に教えれば良いのでは?」と思われるかもしれません。しかしながら、それを教えても全ての教科が中途半端に終わります。その原因は当然ですが、人生経験の差です。元々持っている情報量が違います。先に述べましたように専門分野は負けるかもしれません。ですが、基礎を固めていた時間が違います。この差が勉強法に出てきます。それ故に生徒一人一人に対して、カリキュラムを組む必要があります。一人として同じ経験、同じ人生を歩んだ子は居ません。その子の為だけに時間をかけて精査し、考え、世界に一つだけのカリキュラムが出来るのです。