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「生きる力」・「学ぶ力」・「教える力」と学校成績
結論から言ってしまえば、「生きる力」・「学ぶ力」・「教える力」の3つの力と学校の成績の相関はほぼありません。現在の私はこの3つの力を持っていると自負していますが、学生時代の成績は決して良い方ではありません。具体的に言うなら中学校の成績は3段階評価(A・B・C)でCこそ無いものの、大半がBという至って特徴のない成績ですし、高校時代の英語の成績は一時期的に欠点ギリギリだったこともあります。実際、英語が出来るようになったのは大学院生時代に通っていた英会話塾(O.E.C)の先生のおかげです。そちらの塾の先生と「もっと話してみたい。」と思った時に初めて英語を理解できるようになったのです。要するに英語=嫌な物、聞きたくも理解したくもない物と思っていたから理解できなかったわけです。私は、勉強の入り口は「楽しさ」だと思っています。最初に苦手意識や嫌な思い出があるとそれが邪魔をして学習を妨げます。そういった意味で言うと英会話教室に通ったり、学問を通じて友人を作ったり、楽しいと思うものを研究したりすることは「学ぶ力」を増大させる強力なエネルギー供給源だと思っています。同時に教師自体が学問を楽しんでいなければ、「教える力」は伸びません。昔、先生から教えていただきましたが、生徒へのアンケート調査の結果から「理科の先生が楽しそうに授業をしているから、よく分からないけど何となく理科が好き。」という回答が多く見られたそうです。要するに先生の学問への愛情は生徒に見えてしまっているわけです。確かに、先生は知識や理論そういったスペシャリストとしての側面が強く求められます。しかし、同時にその学問を本気で楽しむことも重要なのです。先生が楽しめない学問なんて生徒はもっと楽しめないですね。最後に「生きる力」についてですが、人生という長い道のりを歩いてくる上で一番不可欠な力であると同時に唯一教えることの出来ない力でもあります。学校成績が生きる力と直結しているなら、進学校の生徒だけが生き残っています。実際、そんなことはありません。平均程度の成績だった私もしっかり生きています。確かに、中学受験等を乗り越えてきた生徒は、この生きる力を身に着けている確率は高いです。それは中学受験という辛いものを踏み越えるために努力した結果として生徒自身の持つ「生きる力」が覚醒しているからです。この様に「生きる力」だけは教えるのではなく、引き出す必要があります。私達、教育者は『師』です。範を示すことで生徒の力を引き出すきっかけを作る必要があります。その為に私達自身も努力し続ける姿勢を示さなければなりません。私の場合、その努力の結晶として目に見える形で対外的に発信することが出来ることは、「資格の取得」と「実績」です。目の前に居る生徒には「言葉」や「生き様」で示すことが出来ますが、このブログを読んでくださっている方に示すことはできません。だから、資格の取得という形で私の「生きる力」を発信していこうと思っています。発達障害というハンデを背負った上で生きるということをお見せすることが出来れば幸いです。