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中学生時代と科学部
以前、私の発達障害(3)に書いたように中学校時代の科学部での活動は私の人生を大きく変えたものになりました。大阪市立住吉中学校で所属した科学部の顧問であるM先生(ご本人の承諾を得ていないためイニシャル表記にしております。)は優しくと厳しさを併せ持った教員の鑑のような先生でした。本当に生徒指導が上手く、変わり者の多かった科学部を良くまとめていらっしゃいました。私が1年生のときに科学部で研究していたのは「ビールの泡の研究」というものでした。この研究は、日本学生科学賞(JSSA)という権威ある科学賞(最高賞は内閣総理大臣賞)の地方審査自体にあたる「大阪市生徒理科発表会」において優秀賞(最高賞で、該当する研究が無い場合は出さない。)を受賞し、大阪府学生科学賞で最優秀賞を取りました。そして、最終的に日本学生科学賞で佳作に選ばれました。この時に大阪府学生科学賞と日本学生科学賞の勲章を頂き、ずっと自分の誇りとしています。
2年生の時の研究「泡の研究」は残念ながら大阪市の審査では優秀賞を取りましたが、大阪府の審査を突破することはできませんでした。3年生の時の研究は大阪市の審査で優秀賞、新聞社主催の科学発表会で優秀賞を受賞しました。これらの経験は、今思い出すと論文の書き方にそっくりであり、研究レベルこそ異なるものの、ある意味早い段階大学の勉強をさせて頂いていたと思います。実際、私はこの時の研究内容と受賞履歴を活用し、近畿大学の理工学部理学科化学コースにAO入試を利用して挑戦し、無事入学しています。中学時代の恩師であるM先生は、私が大学受験の際には既に別の中学校に転勤されておりましたが、受験の為に表彰状のコピーと研究資料のコピーを頂きたい旨を申し出ると快く受けて下さり、住吉中学校に連絡してその資料をコピーさせてくださいました。私が理科教員を目指すきっかけになったM先生を今でも尊敬しています。
ただ、そのM先生は今どちらに居られるのか分かっておりません。もし、M先生がこの記事を読んでくださったならば一度連絡を頂ければと思っております。お待ちしております。
2年生の時の研究「泡の研究」は残念ながら大阪市の審査では優秀賞を取りましたが、大阪府の審査を突破することはできませんでした。3年生の時の研究は大阪市の審査で優秀賞、新聞社主催の科学発表会で優秀賞を受賞しました。これらの経験は、今思い出すと論文の書き方にそっくりであり、研究レベルこそ異なるものの、ある意味早い段階大学の勉強をさせて頂いていたと思います。実際、私はこの時の研究内容と受賞履歴を活用し、近畿大学の理工学部理学科化学コースにAO入試を利用して挑戦し、無事入学しています。中学時代の恩師であるM先生は、私が大学受験の際には既に別の中学校に転勤されておりましたが、受験の為に表彰状のコピーと研究資料のコピーを頂きたい旨を申し出ると快く受けて下さり、住吉中学校に連絡してその資料をコピーさせてくださいました。私が理科教員を目指すきっかけになったM先生を今でも尊敬しています。
ただ、そのM先生は今どちらに居られるのか分かっておりません。もし、M先生がこの記事を読んでくださったならば一度連絡を頂ければと思っております。お待ちしております。