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小学生時代と現在の教育観
私の生まれは大阪ですが、小学校は兵庫県の尼崎市の方に通っておりました。その当時から理科自体は好きでした。特に私の場合は、生物への関心よりも化石や石などの非生物への関心が高かったことを覚えています。私が6年生の時の校長先生が私と同じく化石集めが趣味ということもあり、石の鑑定をお願いしに校長室によく伺いました。その校長先生は、生徒の自然への興味関心を引き出すために、誰かがちょっとした何らかの発見、例えば、「校庭に霜柱が出来ている。」とか「虫に関して気づいたこと。」等のほんのちょっとした発見でも校長室に行って報告すると次の日に「~さんが~を発見しました。」と校長室の前に掲示してくださるのです。それで生徒はこぞって何か面白い物はないかと学校中を探し回っていました。そのおかげで「作成中のスズメバチの巣が早期に発見され、素早い駆除で大きな怪我に繋がらなかった。」というエピソードもあります。生徒自身の興味関心を刺激し、自己肯定感を高めるだけでなく、「子供の目」という最強の防犯センサーを活用することで事故や事件を未然に防いでいらっしゃいました。子供の視点は、物理的に大人よりも低い位置にあります。それ故に大人と違う部分を見ることが出来ます。また、考え方の面から見ても「常識」というものに縛られていない子供の世界の方がある種大人の世界より多様性に富んでおり、観察眼の優れた子が出現します。さらに学校という空間においては圧倒的に大人よりも子供の方が数が多く、さらに行動範囲も広大です。そういった意味では先に述べたように学校空間において「子供の目」は最強の防犯センサーになりえます。生徒の成長、危機回避の観点の両面から見たとき、教育者としてまた管理者として最高の先生を私は見せて頂いたと思っています。
その時の教育は、小学校卒業後に大阪に引っ越してきた際に入学した大阪市立住吉中学校で科学部入部する選択をするきっかけになりました。また、教育は教師から生徒への一方通行ではなく、子供の視点を重視する姿勢と自由度の高さがその生徒を成長させる肥料になり得るという現在の教育観に影響を与えました。私が生徒に教室での勉強だけでなく、フィールドワークや遊びを教えている一番の根底はここにあると思います。確かに人生は困難が沢山あり、耐えなければならないときは沢山あります。でも耐えるだけの人生では窮屈になってしまいます。教育も同じでしんどい学び、我慢の方法も教えます。しかし、それと同時に遊びが無かったら努力できません。だから、家庭教師の帝塚山では勉強だけでなく遊びにも全力で取り組みます。勉強と遊びはある種、人生の両輪だと思っています。どちらかが大事だということはなく両方大事だと思っているからです。
その時の教育は、小学校卒業後に大阪に引っ越してきた際に入学した大阪市立住吉中学校で科学部入部する選択をするきっかけになりました。また、教育は教師から生徒への一方通行ではなく、子供の視点を重視する姿勢と自由度の高さがその生徒を成長させる肥料になり得るという現在の教育観に影響を与えました。私が生徒に教室での勉強だけでなく、フィールドワークや遊びを教えている一番の根底はここにあると思います。確かに人生は困難が沢山あり、耐えなければならないときは沢山あります。でも耐えるだけの人生では窮屈になってしまいます。教育も同じでしんどい学び、我慢の方法も教えます。しかし、それと同時に遊びが無かったら努力できません。だから、家庭教師の帝塚山では勉強だけでなく遊びにも全力で取り組みます。勉強と遊びはある種、人生の両輪だと思っています。どちらかが大事だということはなく両方大事だと思っているからです。